20130830
◆ 角館 ◆
深い木立ちと、重厚な屋敷構えで知られている角館町は、元和6年(1620)角館地方を領していた芦名義勝によって、造られたものです。
三方を山に囲まれ、南の玉川筋によって仙北平野に開いている地形は城下町を形成するため、もっとも適している場所であったのです。
町を造るのには、現在の古城山(城跡)を北端として、南に向けて三本の道路を建設し、これを中心に作ったと言われます。
それ以前は、この山の北側、つまり現在の町と山をはさんで反対側にあったものですが、地の利、広さを考え、さらに水害や火災というアクシデントもあって、新しい町づくりをしたものです。
町の中央部、役場のある広場は?火除け?と呼ばれる場所で、幅25メートル、東の花場山の麓から西を流れる桧木内川まで、町のもっとも狭い部分を分断する形で設けられています。
ここが、武家町(内町)と商人町(外町)を区分する場所となっています。
北側に位置する武家町は、深い木立ちが覆い、一方、南の商人町は町並みがびっしりと埋めて対照をなしています。
町が造られた当時の元和6年(1620)には、武家屋敷80戸、商家350戸と数えられ、秋田藩の支藩としてはもっとも大きな城下町を形成していました。
以来390年余、町の形は大きく変わっていませんし、特に内町という武家町は、道路の幅から曲がり角1つまで、そのまま残っています。
まさに角館は歴史の生きている町でもあるんです。
今回は「武家町(内町)」をご紹介します。
北側にある駐車場に車を停め、南に下りながら町歩きをします。
その駐車場のまん前には、「平福記念美術館」があります。
木立ちの中にたたずむ建物が美しい。
敷地は藩政時代の佐竹北家家臣の屋敷跡で、その後は平福百穂の尽力によって建てられた旧制県立角館中学校の校舎があった場所で、前庭の太い樹木は武家屋敷当時のものがそのまま残っています。
平福穂庵・百穂親子の作品が常設。
父・穂庵の繊細で緻密な絵、息子・百穂の味のある絵、皆様はどちらがお好きでしょうか?
この道を南に向かいます。
この真っ直ぐな広い道の両側には、武家屋敷が続きます。
(石黒家)。
佐竹北家を勤めた家柄。
武家の格式を示しながら簡素な佇まいを呈しています。
(青柳家)。
家屋は寄棟萱葺屋根の母屋、薬医門、蔵、塀などで、武家屋敷の建築様式を今につたえます。
(角館樺細工伝承館)。
樺細工は、山桜の皮を茶筒や靴べら、小箱に貼り付けた工芸品です。
館内には、樺細工の製造工程や製品などの資料が展示されています。
夜の嵐の影響か、
実の詰まっていない「イガグリ」が沢山落ちていました。
この道を南に向かいます。
この真っ直ぐな広い道の両側には、武家屋敷が続きます。
(石黒家)。
佐竹北家を勤めた家柄。
武家の格式を示しながら簡素な佇まいを呈しています。
(青柳家)。
家屋は寄棟萱葺屋根の母屋、薬医門、蔵、塀などで、武家屋敷の建築様式を今につたえます。
(角館樺細工伝承館)。
樺細工は、山桜の皮を茶筒や靴べら、小箱に貼り付けた工芸品です。
館内には、樺細工の製造工程や製品などの資料が展示されています。
夜の嵐の影響か、
実の詰まっていない「イガグリ」が沢山落ちていました。
何だか、美しい(笑)。
(大村美術館)。
ルネ・ラリックのガラス作品とアール・デコのコレクションに特化したプライベートミュージアムです。
秋田市の個人コレクターが私財を投じ、開館しました。
「個人コレクション」というのに唸り、作品を真近に見れて、更に唸りました(笑)。
車のボンネットの上に飾る「カーマスコット」。
(ネットで探した画像です)。
美しかった!
(岩橋家)。
江戸末期に改造、角館の中級武士の家屋として間取りなど典型的な形を残しています。
(古泉洞)。
うどん屋さん。
この角館の中で1番古い建物らしく、江戸時代の寺子屋だったそうです。
武家屋敷内の見学には、有料・無料がありました(¥300〜500くらい)。
他にも、ご紹介出来なかった武家屋敷もあります。
じっくり見ると、時間が足りないかもしれません(笑)。
次回は「商人町(外町)」をご紹介します。
オオツカ
「summer vacation…3」。 | 22:11 | comments(0) | Travel。